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2014年9月23日~10月2日 四国旅行 東かがわ市引田~高松市屋島~高松市
23日、0:15に家を出て8:30に香川県東かがわ市に有る引田の町に到着。ここから四国周遊の旅が始まる。


(香川県) 東かがわ市引田
引田の古い町並み:引田の氏神である誉田八幡宮から本町通り沿いにかけて大きな商屋や赤壁の醤油醸造所、入り組んだ路地などが残る。特に引田御三家といわれる旧庄屋の「日下家」、醤油業の「岡田家」(かめびし)、酒・醤油業の「佐野家」(旧井筒屋)の家屋敷が軒を並べている。


かめびし屋:1753年創業の老舗の醤油屋。14段のむしろの上に麺を広げ、寝ずの番をしながら丁寧に麺を育てる「むしろ麺製法」を守り続けています。路地から路地へと赤壁が続く光景は異様な町の風景を見せる。




讃州井筒屋敷:酒、醤油業の「佐野家」(井筒屋)の屋敷。

引田の町並みは御三家を軸に点在している。今日は休日で朝が早いせいか、人通りは少ない。なかなか、味わいのある引田の町並みでした。




(香川県) 高松市屋島
四国村:なつかしい四国の風景がよみがえる四国村。民家のテーマパークと言えるここには、江戸時代を中心として四国四県の古い家屋が31棟復元されています。このうち重要文化財が8棟、また民具も約1万点のうち、6,514点が重要有形文化財という貴重な民家博物館です。

四国の山間部に点在する古い家屋を見る予定だが、時間の都合で行けない場合を想定し、ここ1か所で見ることが出来る四国村を取りあえずチェックして置く。


(香川県) 高松市
高松城艮櫓(旧太鼓櫓後):艮櫓はもともと東の丸の北東の隅(現在の県民ホール敷地内)にあった櫓で、北東の方角を丑寅ということからこの名前があります。完成は延宝5年(1677年)頃といわれ、月見櫓と同時期につくられました。三層三階・入母屋造・本瓦葺で、形は月見櫓と似ていますが、初層に大きな千鳥破風があるのが特徴です。
高松城:蓖原荘と呼ばれたさびしい海岸に城が築かれたのは、天正18年(1590)のことと言われています。豊臣秀吉の家臣・生駒新正が讃岐一国の領主となり、十八万石の居城として高松城の建築に着手、城の設計を担当したのは、知恵者として名高い黒田如水。海水を掘に引き入れ、周囲に港をつくり、渚から陸へと城下町の磯を築いて行きました。
水門:この城は堀が海とつながっているので、潮の潮の干満による水位調整のため水門が設けられています。奥に見えるのが海です。月見櫓・水手御門・渡櫓:月見櫓は北の丸の隅櫓として延宝4年(1676年)頃に完成したといわれ、出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「月見櫓」ともいわれています。
鞘橋:本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当初は欄干橋でしたが、江戸時代中期末頃にはこのような屋根付きの橋に。天守台:生駒氏時代の天守は、絵図や古文書によると3層だったとされ、松平氏時代の寛文10年(1670年)に改築された天守は3層5階(3層4階+地下1階)の南蛮造りで四国最大の規模を誇っていました。天守閣は現在、復元工事中です。他の建物も復元されたものが多いが、日本三大海城の一つでも有るため、見学に来ました。
披雲閣:江戸時代にもこの場所に、約2倍の規模で政務が行われる場所、藩主が生活する場所として「披雲閣」と いう名前の御殿がありました。現在の披雲閣は、明治維新後、老朽化を理由に取り壊された旧披雲閣を高松松平家の12代当主賴寿伯爵が大正3年に再建に着手し、3年余りの歳月をかけ大正6年(1917年)に完成したものです。


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